さらば、旅人。

8月4日、以前共演させて頂いた俳優、泉政行さんが亡くなったとの報が届いた。亡くなったのは7月28日だったとのこと。最後にお会いしたのは確か2年ほど前だったように思う。体調を崩されているのは、今思えば思い当たるといった感じで、健康に気を付けているのだろうくらいにしか思っていなかった。まさか亡くなる程のこととは、全く考えていなかった。あまり言わないようにしていたのかもしれない。共演した同じ公演の関係者の誰もが驚いていた。責はないのかもしれないが、何も知らなかった自分に腹が立った。35歳だったそうだ。あまりにも若い。

泉さんとの共演は思い出深い。もう少し付け足せば、ご一緒した公演やその座組が、自分にとってはとても大事だ。もちろん今も。もし何もなければその公演は、2011年3月11日に初日を迎えていたはずだったから。


少し自分のことを話すと、僕は2011年3月に別の舞台の出演が決まっていたが、種々の事情で降板することになった。それを知った役者仲間の岡田あがさの助力によりジェットラグプロデュース『リ・メンバー』という舞台に出演させて頂く運びとなった。そこで出会ったのが泉さんだった。映美くららさんや川野直輝さんはじめ、素敵なキャストたちに囲まれて、本当に幸せな現場だった。

が、演劇公演の常で、もし普通に公演を全うしていただけであれば、千秋楽の次の日にはそれぞれ別の道を歩み、日常へ帰り、次の現場の脚本を覚えたり稽古に行ったりして少しずつ印象も薄れ、いずれ多くの仕事の内の一つにカテゴライズされていたのかもしれない。

でもそうはならなかった。ほとんどの人がそうであったように、あの日は忘れられない日になった。


ゲネプロ開始の15分前に揺れが来た。その時はもちろんその地震が後に東日本大震災と総称されて日本を未曾有の危機に陥れることも、実家の近くの宮城や岩手が大変なことになっていることももちろん知らず、ただ、あ、揺れてるな、随分長いな、ぐらいにしか考えていなかった。その時自分は楽屋で衣装を身に付けてゲネプロの開始を待っており、ちょうど泉さんと一緒にいた。泉さんの対応は早かった。僕は現状を把握しきれずにぼんやりと揺れが収まるのを待っていたが、泉さんは僕に「靴履いて。暖かくして外出よう」と言って避難を促した。客席頭上に吊られた照明機材がガシャガシャと音を立てて揺れ、その頃にはようやく、意識の周りに恐ろしさがじわじわと迫っていた。泉さんの言葉と行動は心強かった。不謹慎だが僕はその時、ああ、イケメンはこういう時もちゃんとイケメンなのだと感じた。


熱い人だった。熱く、義に厚く、心の篤い人だった。一生懸命でお茶目で気さくな人だった。鈴木歩巳さんが足を怪我した時も真っ先に肩を貸した。子供みたいに懐の甘い瞬間があって、僕と清水那保ちゃんでからかった。

震災のあった時はそのまま公演中止になってしまったが、翌年の7月に再演することが即座に決まった。公演は行われていないから正確には再演じゃないんだけど、僕ら皆、その方がしっくりきた。昔の詐欺師仲間が再会してまた大仕事を仕掛けるという話だったから、同じくまた来年集まりましょうと声を掛け合えて、それで気持ちを強く持っていられた。

翌年の再集合も楽しかった。一度出来上がった座組だったから、打ち解けるのも早かった。永山智啓さんと古川侑さんがよくふざけていた。毎日楽しかった。

稽古中に、人狼というゲームをしたことをよく覚えている。
これはプレイヤーが皆ある村の村人という設定で、人の姿をして紛れ込んだ狼を当てるというゲームだ。最近テレビでもやっているから、ご存知の方も多いと思う。狼は夜になると村人を喰らう。話し合ったり推理したりしてそいつを探す。
村人側にも特殊な能力を持った人たちがいる。誰が人狼か分かる占い師や霊媒師、指定した人を守れる狩人など。

どういう話の流れだったか忘れたが、泉さんが狩人と間違えて、「俺は旅人です」といったようなことを言った。このゲームに不慣れだった泉さんはルールがなかなか覚えられず、しかも嘘が分かりやすかった。
旅人なんて役職があったら面白いですね、途中でいなくなっちゃうのかな、泉さんっぽいなどと一時期座組内で流行って、このゲームをやる時の泉さんは大体旅人と呼ばれた。今思い出しても、旅人という役職は泉さんのためのもののような気がする。


暫く会っていなかったから、亡くなったと聞いても、もう会えないと分かっていても、実感が湧かない。ご遺体と対面したわけでも葬儀に参列したわけでもないから、分からない。先日佐々木なふみさんと飲んで話したけど、そうすれば少しは実感が湧くかと思ったけど、やっぱりどこか遠い所の出来事のような気がした。
まだどこかにいるような気がする。アドレス帳に残された彼の連絡先にメールをすれば、返ってくるような気がする。今まで何人かの人たちと同じように別れたが、彼らの連絡先はいつまでも消すことが出来ずに残されている。やり取りの履歴も消せない。


いつかどこかで、不意に街中で、あるいは連絡がふと、出会ったり届いたりするような、そんな感覚をなくすことが出来ない。それならばそれで仕方ないような気もする。長い旅に出た旅人をふと思い出して心配してまた会いたいと願って、道中安全を祈りたい。

だから泉さんにも、今生の別れを告げない。どうかお気を付けて。さらば、旅人。また会う日まで。


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『時々は、水辺の家で。』終演のご挨拶。

どうも、須貝です。
更新がまたしても遅くなってしまい、本当に申し訳ありません。夏バテ気味ですが、基本元気に過ごしております。


先日、8月2日(日)にmonophonic orchestra 6『時々は、水辺の家で。』が終演致しました。ご来場下さった方々、応援して下さった方々、本当にありがとうございました。

長年温め、思い入れのある作品だったので、こうやって形になってくれたことは大変ありがたく、かつ終わってしまったことが寂しくもあります。またやりたい作品です。


個人的には多くの課題に気付き、演出家としての未熟さにばかり向き合わされた公演でした。それでも最後まで全う出来たのは、ひとえに役者たちの尽力によると思っています。スタッフの皆さんにも助けられました。僕個人は、何も出来なかったという思いが残るばかりです。

それでも、本当に素敵な公演になりました。逆に考えると、自分の働きに疑問が残ってもなおこれだけ良い公演が打てるということは、それはそれで劇団力なのだと思います。


一つ所に落ち着かず、邁進していくのみです。次回公演はさらに上を。目標がたくさんあるので、今凄く燃えています。やったります。


次は冬。12月23日(水・祝)~27日(日)です。今年最後です。『浮遊』というお話をやります。再演ですが、かなり書き換わると思います。詳細は乞うご期待。かなり気合入れて臨まないといけないことになりそうです。闘います。

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10周年&予約開始。

どうも、須貝です。大変ご無沙汰致しました。
まさかの先月ノー更新です。マジですんません。


さて、それはさておき。


なんと。


このブログ、


2005年5月23日に始まったので、


10周年です!!!!!


…っていうのを先月やるつもりだったんですけど、完全に忘れてました。

いやーしかし10年ですよ。本当にありがとうございます。10年続くもんですね。色んなことがあったなー。
10年前ですからちょうど20歳の時に始めたわけですけども、当時の自分が今の自分見たら「おいもうちょいちゃんとやれーや」って言われそう。でもおじさんは一応元気でやってますよ。

自分もそうだけど周りも結婚したり子供産まれたり色々変わってますよ。そりゃひと時代ですもの10年は。変わりまさぁ。
大学卒業して劇団に入って劇団を始めて劇団をやめて今もまだ演劇をやっている。細々とですけど、どっかでやめてるような気がしてたんだよな、実は。でもまだやってる。ただの意地ではなくて、求められているからだと思いたい。いつまでもそう感じていたい。この10年でやめていった人や去って行った人のことも考えてしまうから。


と、いうことでまた諸々を書き連ねさせて頂きます。



■予約開始。

monophonic orchestra 6『時々は、水辺の家で。』のチケット予約が明日の10時より始まります。もう今日か。あと数時間ですね。

この作品は2013年12月にやりました『1万円の使いみち』という作品と同時上演でリーディング作品としてやっていた脚本なんですけど、今回晴れて劇場で上演しようという。前回の『さよなら、三上くん』とはまた違った雰囲気になってます。

お話の舞台はとある別荘。某県山中にひっそりと建つ、窓からは小さな湖の臨める水辺の家でございます。高名な画家、仁尾鈴音がアトリエとして多くの時間を過ごし、晩年を送った家です。その家を相続した彼女の娘、小説家の仁尾千春がそこを訪れる所から物語は始まります。

色んな芸術家たちが夏の間だけ過ごしている家なんですけど、そう、今回は絵の話とかいっぱい盛り込まれてます。僕が大学の美術史学科を卒業したっていう謎の経歴を存分に発揮した作品になってます。別にそれはいいんだけど。

なんというか、愛されていることとか愛していることとか、自分なりに考えていた頃の作品で(書いたのは多分三年くらい前です)、今読むとこそばゆい部分もあるんですが、それを実際舞台にするにあたってどうするか、今の僕がちゃんと滲むようにしたいです。

ちなみに元々小説で書いたんですこれ。それを戯曲に書き直しました。小説の方は恥ずかしいので今はどこにも出せませんが、いつかちゃんと書き直してちゃんとどこかへドロップします。

詳細はこちらから!



■さよなら、三上くん

本当は先月ちゃんとご挨拶すべきだったんですけど、monophonic orchestra 5『さよなら、三上くん』、無事終演しておりました。報告が遅くなってしまってすみません。

単純に大変過ぎて体調やら生活のリズムやら心の持ちようやらを整えるのにまるっと一ヶ月掛かりました。2バージョンが大変だということがちゃんと分かりました。世の皆さんが2バージョン公演とかやってるの、マジでリスペクトします。

しかも一方が1年間ワークショップをやってきたチームの発表公演、っていうのも、またいつもと違った部分で、大変だったけどお返しもでかかったです。別バージョンのキャストの皆さんも一緒にやりたかった人たちだったし。旗揚げの動員数を初めて超えたし。本当に皆様、感謝感謝です。

モノフォニックオーケストラという団体は自分でやっている団体で、どこかの会社とか事務所とか劇場から求められてやってるわけじゃなくて僕がやりたいからやっている団体なので、いまいち、本当にやっていいのかなぁとか続けても大丈夫なのかなぁとか自信が持てないんですよ。それを証明する手立ては動員数しかないんですけど、今回はそれを別にして、ちょっと、まぁもうちょいやっても大丈夫そうだ、と感じられたというか。役者やってると分かりやすいんですけどね。主宰はなんか、そういう存在意義みたいなことばっか考えちゃう。本屋さんに行くと絶望するんです。テレビを観ていても。TSUTAYAに行っても。こんなに本やコミックや番組や映画が溢れた世の中で、自分が何かやる意味があるのか。考えちゃう。

社会的には、僕がどんなに強い気持ちを持っていようが、現段階では僕が何かをやらなければならない意味はない。自分が世の中に必要だなんて思える自信も根拠もないですね。有名じゃないし。より優れたものも代わりになるものもいくらでもある。
しかし個人的には、自分の作品以上に自分が面白いと思うものがない。だからやってるんです。僕が一番面白いと思うものを、まだ僕以外誰もやってないから。いつかそんな人が現れたらその時はすっぱりやめてその人のファンになるでしょうね。

それじゃあ売れないよって言われるんですけど、そうでしょうね。そう思います。その代わり肩から力が抜けました。今の僕の方が昔の僕より好きです。



■10年について。

10年間ということを今回少し考えて、どんな大人になりたいか考えたんですよ。ひねくれた大人にはなりたくねぇな。生まれた時から死に始めてるんだから、今さら何をみっともなく生きることがある。真っ直ぐ生きてぇ。

数年ぶりに会った人がいて、自分が知らないその人の時間のことを考えるんだけど、それでも通じている部分のことも考える。その人は家庭を持っていて子供もいて、もはや隔たっていること以外は何の事実もないんだけど、大きな問題じゃない。生きれば生きるほど時間を重ねれば重ねるほど、ただそこにその人がいてくれたということを何よりも大事に思うようになるのだと、感じます。勝手なものだから人は。勝手に絶望して勝手に救われて、勝手に気ままに生きているから。そういう勝手な時間がたまに交差するのであれば、もう形なんかどうだっていい。泣きたくなる。



■卓球の話。

ちょっと前に卓球をしに行ったんですけど、僕中学の時卓球部だったんですよ。で、元々はペンホルダーで。ペンみたいに持つタイプのやつです。ペコが使ってたやつね。しゃもじみたいな。そんでわりといいとこまでいってたんですけど、ある時ほんと、思い付きレベルの気まぐれでシェイクハンドに変えたんですよ。握るだけのタイプのやつ。うちは一族のマークみたいなラケット使うやつです。

そしたら先輩に、「そのままペンでやってたらかなりいい選手になってたのに。もったいない」って言われたんですよ。いや、言ってたらしいってのを聞いたんですけど、僕は両方出来るってことの方がいいなって思っちゃったんですよね。

なんか人生において全般的に、そういう考え方してるなーって最近気付きました。



■ミレニアム

ドラゴンタトゥーの女でお馴染みの小説、『ミレニアム』シリーズを最近読み耽っています。ガスガス読めちゃう。著者スティーグ・ラーソンは第三部以降も構想がありまくったというので、亡くなったのが惜しまれます。現在僕は第三部の下巻まで読んでます。大詰めです。

第一部は映画化もされているので大体の内容をご存知の方も多いと思います。第二部、第三部は続いた話なので気合入れないと読めないかもしれませんが、第一部は読みやすいのでお薦めです。ハリウッド版は正式に続編の製作が断念されたらしいんで残念ですが。それでも映像で観たい!という方は本国スウェーデンが三部とも映画化してます。僕は未見ですが、リスベット・サランデル役をノオミ・ラパスがやってますよ。

ドラゴンタトゥーの女というのは、原題では『女を憎む男たち』だそうで、これは全編を通したテーマです。男性暴力の被害者として、男性中心の社会において能力があるのに不当に虐げられる社会人として、ひたすら闘う女性たちを描いています。正直、自分が男であることが心底嫌になる小説です。出て来る女性たちが皆カッコいいです。
扱っている題材は虐待や性的暴力、近親相姦、人身売買に売春組織にセクハラやパワハラ、ストーカー被害まで、罪として成立しにくい、司法も行政も目をつぶりがちなテーマが数々並び、決して明るい小説とは言えません。

この小説、それでもどんどん読めてしまうのは、勧善懲悪だからです。悪い奴はガンガン断罪されます。必ず罪を償うことになります。だからこそフィクションなのかもしれません。でも、いいじゃないですかそれで。ラーソンの怒りが痛いほど伝わってきます。その気持ちが消えぬまま一気に書いた小説だから、一気に読めるんだろうと思います。

『ホテルニューハンプシャー』もちょっと思い出しましたけど、根本的に違うのはそういう所なのかもしれません。



■プリズナーズ

続けて、最近観た中で一番面白かった映画。ヒュー・ジャックマン主演の『Prisoners』、お薦めです。

全編通して凄い緊張感です。カメラワークが最高に良くて、誰がやってんだろうと調べたら道理で、『ノーカントリー』と同じ人でした。『ジャッキー・コーガン』のカジノの襲撃シーン並の緊張が2時間続くと思って下さい。疲れましたよ。

脚本も演技も秀逸ですが、最も良いのはタイトル。とらわれた人々。少女誘拐監禁事件がベースになっていますが、人は何にとらわれているのか、そんなことを考えさせられます。この話は宗教の話なんですね。キリスト教的なものが全編を縁取っているような気がします。その辺が日本であまり話題にならなかった理由なのだろうか。

でも僕は、そういうの抜きにして面白いと思ったんですよね。伏線の張り方もいい。ラストがすっごくかっけーので観て下さい。出来れば静かな環境で。音の良く聞こえるように。

ヒュー・ジャックマンはもちろん、久々にご登場のテレンス・ハワードとか不気味な役やらせりゃ天下一のポール・ダノとか、そして大人の魅力むんむんのジェイク・ギレンホールが熱いデカを演じています。

なんか、なんていうか、こういう作品に役者で参加出来たら最高だなと思った。



■パンと花。

パンを一つ持っている。ポケットにはあと一つパンを買えるだけの金が入っている。
その時余分にもう一つパンを買うか、食卓に飾る花を買うか。
生き方は極論すればその二通りなのだと思う。

そして僕は花を売る。




梅雨が来ますね。夏もそこまで好きじゃあないが、梅雨よりはマシ。
早く秋来い。

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やります、三上くん。

どうも、須貝です。


いよいよ、『さよなら、三上くん』、15日より開幕です。
絶賛稽古中です。ガシガシ進んでます。
毎日稽古場で笑い、泣き、震えてます。こんな作品になるとは思ってなかったなー。


演出をしていると、これを書いた人は一体何を考えてこの言葉を書いたんだろうと立ち止まることの連続で、自分で書いたというアドバンテージが全く使えなくなってくる。自分のことがよく分からないのか、忘れているのか、そのどちらもなのかもしれません。当時自分が何に感動して何に怒りを感じたのか、もう一度丹念に捉え直す、掘り下げる、そういう作業をしています。


もう、自分が正義であるなんて思うことは、出来ません。間違いの連続だった。取り戻せるなら取り戻したい。何度も何度もそう思う中で、でも今がその上にある以上、戻りたくなんかない。正しくなかった、でも、正しくあろうとした自分がその時はあったはず。それを頼みに生きている。


最近は稽古をしながら、タイトルに冠した三上くんという人間のことを考えています。彼のことを考えているとなんとなく、生きていることが許されている気持ちになります。最初はただの記号だったはずなのに。人間は勝手に意味を与える生き物だからなぁなどと思いつつ。その意味が悪いものじゃなくて良かったなぁと思いつつ。


正しさと過ちの間にいて。
自棄と死守の間にいて。
繊細と大胆の間にいて。
愛と怒りの間にいて。
素直と意固地の間にいて。
あなたと私の境界を探している。
分かっていることの量が少なくて、
分からないことだらけで、
それで本当に良かった。


なんか、そういう、上手じゃなくていいから嘘を吐きたくなかった。そういう作品かもしれない。
お待ちしてます。期待は裏切りません。期待して下さい。


monophonic orchestra 5
『さよなら、三上くん』
2015年4月15日(水)~22日(水)
APOCシアター

望郷編→http://monophonicorchestra.com/boukyou-page
追憶編→http://monophonicorchestra.com/tsuioku-page

※注意事項(ご予約の前にお読み下さい)→http://monophonicorchestra.com/attention

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2015年3月15日(日)、雑記。

どうも、須貝です。
最後にいつ書いたか忘れるくらいぶりの更新です。すみません。


来月の今日開演致します、monophonic orchestra 5 『さよなら、三上くん』の稽古中でございます。どちらもぶいぶい出来上がってきております。どちらも、というのは2バージョン公演なんですね。それぞれ望郷編と追憶編と名付けております。なんとなく昔の日本映画を意識しています。4月15日(水)~22日(水)ですよ。

どちらも出演者が違い、脚本も違いますが、同じ高校の現在と六年前を舞台にしております。どちらか一方だけでもお楽しみ頂けますけど、通し券なんて心憎いものもございますので是非ご利用下さいませ。今回はチラシもかわいいよ。

公演詳細はこちらから。

望郷編→http://monophonicorchestra.com/boukyou-page
追憶編→http://monophonicorchestra.com/tsuioku-page

予約は既に開始しております。土日がかなり混み合うと思われますので、お早目のご予約をお勧め致します。
※ちなみに、今回2バージョン公演のため、ご予約の際にいくつかお願いをしています。詳しくは下記、注意事項をご一読下さい。

注意事項→http://monophonicorchestra.com/attention



と、いうわけで、久々に雑記をば。


・人付き合いのスタンスというのは人それぞれなんだろうなぁと思うのですが、「人は通じ合うもので、たまに裏切られる」と思う派の人か、「人は基本的に裏切るもので、たまに通じ合う」と思う派の人か、大きく分けられるかもしれません。性善説と性悪説と言ってもいいですけど。僕はどちらかといえば後者のような気がします。

誰に対してもということではないですけど、所詮通じ合えないと大部分思っている所があって、だからこそ脚本を書く時なぞはそれが通じ合う瞬間の感動のようなものを扱っていることが多い気がします。誤解と理解とがあって。全て分かり合えるとは思っていないし、かと言って全く分かり合えないかというとそんなこともないんですよね。


・男子たるもの紳士であることを心がけるべきだなと思います。紳士であることに他人からの評価や勲章や賞与はないんですね。個人の心の在り様の問題だから。視界の狭まる世の中ですが。


・最近今更ながら『東京喰種』にハマっています。ラストのテンションの高さと続編である『:re』への繋がり方が好きなんですよね。同一の人物が多作品に渡るという点で共通しますが、海外ドラマの『ハンニバル』にもハマっています。僕は子供の頃に『羊たちの沈黙』に衝撃を受けたもんで、映画も小説も好きなんですが、ハンニバル・レクターという局所的な悪人の美学といいますか、殺人者なのですが納得せざるを得ない筋の通った生き方といいますか、そういうキャラクターの作りに唸らせられます。

ドラマ版『ハンニバル』の何がいいって、キャスティングがいいんですね。主人公のウィル・グレアム役はエドワード・ノートンよりこちらの方がなんとなく腑に落ちる感があります。レクター博士も怪物過ぎなくていい。ジャック・クロフォード役がローレンス・フィッシュバーンっていうのは、この役に初の黒人を起用ということで冒険のような気もしましたが、ハマってます。まだ全部観てませんけど、どうなるか楽しみですね。

『羊たちの沈黙』の前日譚なので、原作を知っていると彼らが今後どうなるか分かっているわけで、そうなるとどういう経緯でああなるのか、というのが楽しみです。
というか世間的には『羊たちの沈黙』が最初に出てるような感がありますが、『レッド・ドラゴン』の方が先だったはず。しかも絶版になってたのが、『羊たちの~』のヒットで再版されてたような。『レッド・ドラゴン』読みたい。


・名前を付けるのが好きです。多分創作の過程において一番好きな作業であると言っても過言ではないでしょう。
今回の作品タイトルに冠されている三上くんという名前ですが、一応意味があります。本編を見てなんとなく分かる方は分かるかもしれません。乞うご期待。
それ以外のキャラクターの名前も一貫したルールがあるんですけど、そっちは本編とは全く関係ありません。

キャラクターを作り出すという作業は、最初無責任に生み出す所から段々とそいつに対して責任感が生まれ始めたり親近感が湧いたり幾日も繰り返し考えるようになったりという順序でも進みますし、メインキャラ、特に自分が深く投影されているような役はいつの間にか僕から離れて勝手に行動していたりして、その動きをただ追って行くだけになっている時もあるという、ままならなさが最高に楽しい作業です。


・「美しさ」を扱うならば、何かを「美しい」と感じた回数が人並み以上に多くなければならない。


・自分が救われていることを、大事にしなければ。「誰かを救う」というのは実はそんなに強くない。見も知らぬ会ったこともない人を救えるかい?自分の感情以上に他人の感情を強く感じられるわけでもないのだから、まずは自分が救われないと、足元が掬われている気がする。掛詞。だから出発点はそこ。


・こういう世の中では、どういうって言われたら困るけど、とにかくこういう世の中では、気高さのようなものはあらゆる面で大幅に敗けてしまうのかもしれない。最後の最後まで敗け続けるのかもしれない。それでも最後の最後の最後に人を支えるのは、気高さだと思う。




ひと月後、千歳船橋で待ってるよ。




2015年3月15日(日)、雑記。 はコメントを受け付けていません。