パーティー



「抜け出さないか?」


耳元で牧瀬の声が聞こえた。連れ立って僕らはむせ返る熱気と音楽と煙草の煙から逃げ出すことを決めた。開け放ったドアの向こうから全てを洗い流す冷気が部屋の中に吹き込んで、入れ替わりに僕らは外へ出た。


誰のだか分からない自転車の、牧瀬はサドルに僕は荷台に跨って、どこかからくすねてきたウィスキーの小瓶を荷物カゴに放り、誰に呼ばれたのかも覚えていない、誰が主催したのかも何の目的があったのかも分からないパーティーを抜け出した僕らは、緩い下り坂を二人分の体重を乗せて勢いよく駆け下りて行った。木々の間から点々と街の灯りが漏れ、見上げると八月の満天に星が眩く輝いていた。


大きくカーブする辺りに座るのに心地よさそうな下草が生えていて、背もたれになりそうな手頃な木も生えている。僕らはその辺りで自転車を停めて降りた。小高いこの辺りは街の熱気が嘘みたいに涼しくて、パーティーでじっとり湧いた不快な汗も今は冷えて寒いくらいに感じられた。腰かけると目の前の木々は拓け、眼下にまばらな窓の光が点在している。


「昨日古い映画観ててさ」

ウィスキーを一口飲んで牧瀬が切り出した。Tシャツの裾で飲み口を拭ってから僕に渡す。僕は別に気にしないんだけど、受け取って僕も一口飲み、同じように飲み口を拭ってから牧瀬に返した。

「この一瞬は永遠なんだみたいな、そういうセリフがあって。それって具体的にどういうことなんだろうって考えたんだよね」

それは男女がレストランで愛を語り合うシーンだったそうで、よくあるセリフだと思ったからそのまま牧瀬にそう言った。

「だけど、よく考えると分からなくならない?一瞬が永遠って矛盾してるでしょ。一瞬が永遠に続くわけない」

答えは見つかったのかと聞くと、牧瀬は多分と答えた。



牧瀬のことは中等部から知っていたが、親しくなったのは最近のことだ。
高等部に上がってすぐの頃、牧瀬は他校の女子に告白された。断った牧瀬は同じ学校に好きな奴がいるから、と答えた。僕らの学校は中高一貫の男子校で、つまりはそういうことである。その噂が巡り巡って僕らの学校にも広まり、牧瀬の周囲からは一時的に人が遠ざかった。彼を軽蔑したり馬鹿にしたりする人間は今でも多い。でもそれは予想されたよりもずっと少なくて、暫く経つと牧瀬の周りにはまた人が戻って来た。別に僕らの学校がゲイに対してオープンだからじゃない。牧瀬が魅力的な人間だからだと思う。牧瀬は頭も良くて運動も出来て明るくて、どこにいても皆の中心になるタイプだ。僕が牧瀬と親しくなったのは噂が広まってからで、それまでは遠慮していたというか、僕のような日陰の人間には近寄りがたいというか、付き合ってはいけない人種なんだと思っていた。でも、その一件で嘘を吐かなかったことが僕の中の牧瀬の評価を変えた。うまいこと生きている奴、それまではそう思っていた。それが間違いだったと知った時、僕の中に安心に似た親近感が湧いて、自然と彼と親しくなることが出来た。


「この一瞬っていうのは、今この瞬間ってことでしょ?その瞬間は今この一瞬にも刻一刻と終わってるんだ。分かる?」

なんとなく、と僕は答えた。

「この一瞬は絶えず過去になり続けてるんだよ。そして過去は誰にも変えようがない。もう終わってしまったことだから。だから永遠に誰の手にも触れることが出来ない。だからこの一瞬が永遠になるんだよ。どう?」

確かに、空間的にはそうかもしれない。と答えると、牧瀬は不満そうな顔をした。もしそうなら、「この一瞬が永遠になるんだ」と言えばいい。二人の場合は違う。「この一瞬は永遠なんだ」というセリフはもっと、感情的なもののような気がした。

「なんかそれ、俺が感情を理解出来ないみたいに聞こえるな」

そう言った牧瀬を僕は笑って違うよと否定したけど、牧瀬がそういう考え方をするのはきっと、上田とのことで少しでも傷付かないように、無意識に感情的に考えるのをやめているからじゃないかなと思った。


上田は僕らと同じ学校で、牧瀬とは中等部の三年間同じクラスだった。例の噂が広まるまでは牧瀬と大体いつも一緒にいた。牧瀬にはっきりと聞いたわけじゃないけど、牧瀬が好きな同じ学校の奴というのは上田のことなんだと思う。廊下でたまにすれ違う上田が気付かないふりをして牧瀬を無視して行く時の、牧瀬の顔を見ていれば分かる。残酷だと思った。お互い傷ついているわけだから。



「戻ろう」という牧瀬の声で我に返って、僕らは緩やかな坂道を今度は自転車を押してパーティーへと戻る。街の灯が歩く速度に伴って少しずつ離れて行った。


「この一瞬は永遠なんだ」と感じた男女は果たして、空間的な話をしていたのか感情的な話をしていたのか。
空間的な話だとしたら、牧瀬は他校の女子に真実を告げた瞬間を悔やんだとしても、永遠にそれを変えることは出来ない。納得していたとしても、上田との距離は詰まることなく刻一刻と彼らの関係を冷たくしていく。
感情的な話だとしたらどうか。牧瀬は上田と過ごした日々を、何年後になっても永遠に色褪せない光とともに思い出すことだろう。しかしそれはもしかしたら弱さなのかもしれない。逃げなのかもしれない。


牧瀬は黙って自転車を押した。僕と牧瀬の間には自転車がある。さらさらと車輪が回る音だけが、僕らの間に響いて上る。僕は歩く速度を少し落として自転車の後ろ側を回り、牧瀬の隣へ行くと、がしっと彼の肩を抱いた。牧瀬は一瞬びくっとして驚いた顔をしたが、すぐに笑って僕の肩に手を回し、僕らは肩を組んで元の場所まで歩いた。歩きながら僕は、今この一瞬も過ぎ去っていく、確かな形を残して僕らの歴史になっていく、そんなことを考えていた。


パーティーに戻った僕らに対し、ヒューヒューと下品な野次が飛んだ。僕らは笑ったり怒ったふりをしたりしながらまた熱気の中に戻って行った。少し離れた所から牧瀬は僕に目配せし、軽く手を振った。僕も軽く手を振ってそれに応えた。



この一瞬は永遠なのだろうか。どうであれ、牧瀬にとっての永遠が、後ろではなく前に向かっていくものであればいいと思った。ずっとずっと先の未来へ。




~おわり~