重ねるということ。

どうも、須貝です。

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。2000年も20年代に突入しましたね。
遅ればせながら、TAAC『だから、せめてもの、愛。』も無事終演いたしました。ご観劇いただいた皆さま、応援してくださった皆さま、ありがとうございます。

このタイミングでいいのかと思いつつ、2019年のお仕事を振り返りますと、

1月 神保町花月プロデュース・アクティブリーディング『それから』脚本・演出
2~3月 ○○と温『物語ほどうまくはいかない物語』脚本・演出
4月 しずる×□字ック『演劇♡顧問』演出補
5月 新国立劇場×ロイヤルコートシアター 脚本家ワークショップ第1フェーズ
6月 ジエン社『ボードゲームと種の起源ー拡張版ー』出演
7月 木村美月の企画『まざまざと夢』演出協力
8月 さくリさく企画『Solace-慰め-』脚本・演出
8月 『オリエント急行殺人事件』構成協力
9月 カリンカvol.2『その美女、自覚なし!』出演・構成協力
11月 コノエノ!『MONEY MONEY MONEY!』脚本協力
11月 タイマンvol.5『かなわない夢ガール』演出
12月 新国立劇場×ロイヤルコートシアター 脚本家ワークショップ第2フェーズ
12月 TAAC『だから、せめてもの、愛。』出演

この間に継続して1本映画の脚本を書き(今も進行中)、新国立×ロイヤルコートシアターのワークショップのために新作戯曲を1本書き、イベント用の脚本を3本書きました。働いたね~。
稽古と本番が同時進行だったり、稽古が2つ同時進行だったり、本番やりながらプロット書いたり、めちゃくちゃやってましたね。よく大病しなかったな…。

そして、脚本を担当した『カラオケの夜』が門真国際映画祭2019映画部門で最優秀賞をいただきました。
新しい方々と出会い、お仕事をすることができました。2020年や21年の企画もちらほら打ち合わせしました。来年はちょっと楽になります~とか言いながら、この5年は加速度的に忙しくなってます。

何より、体に気を付けようと思います。


では、今日も雑記を。



○重ねるということ。


小さな違いですが、「歳を取る」より「歳を重ねる」の方が言い回しとして好きです。どうしたって僕たちは老います。分かっていたことが分からなくなり、世界の中心から外れたように感じ、無限に湧いた力もいつか尽きていくことを感じます。時代の最先端だったはずが誰かの後塵を拝すようになり、いつしか周回遅れになることもある。そうやって老いていく。でもそれの、何がいけないのか。その時その時に見える景色を楽しめればいいのではないか。そう思います。前を行く人は誰の背中も見ることができない。でも後ろを行く人は前の人の背中を見ることができる。勝負ではないのだから、どちらにも良さと見える景色の違いがあるのだと考えます。

誰しも、手の届かないものに憧れを持ちます。常にではなくとも、誰にでも経験のあることかと思います。ただ一つ、時間の流れだけは遡ることができない。それが分かっているか分かっていないかの違いは非常に大きい。

老害となるか素晴らしき先輩になるかは、この、時間や世代の変化をどう捉えているか、自分が社会の中でどういう存在になっているかの自意識がどこまで深いかにかかってくると考えています。

自分は、俳優をやっている期間が一番長いので本当に強く感じるのですが、俳優の身体として脂が乗っていた時期はもう過ぎています。恐らくそれは27~29歳くらいの頃ではなかったかと思います。その頃に俳優として売れることができなかったのが悔いではありますが、それはその時最善の選択をし続けた自分の限界だったと思っています。

でも恐らく、俳優としては今の方が優れていると思います。時間を重ねたことで、経験を重ねたことで、年齢を重ねたことで、見えなかったものや触れられなかったものを感じることができるようになってきたと思っています。何よりも気持ちが強くなりました。自分に驚かされます。人と比べればまだまだだと思うのですが、当社比で10倍くらい強くなってます。

自分は27歳くらいから脚本を本格的に書き始め(それ以前から書いてはいましたが)、演出なども始めました。もっと俳優として頑張ってから始めても良かったのではと思う反面、その年齢で始めて本当に良かったとも思います。若さとしなやかさのある内だったからこそ変化や意見に耐えることができ、同時に老いの始まりだったために落ち着いて自分を分析しながら臨むことができた。これがもしもっと若い頃から始めていたら変に固まってしまっていたかもしれないし、優しくあることができなかったかもしれない。逆にもっと老いてから始めていたら、俳優として培ったものに劇作が邪魔をされたかもしれない。

今振り返れば全てが、そうあるべきタイミングだったように思います。そしてそれら全ての判断は、心に従った結果だったのだと感じます。

歳を取ることは恐ろしいですが、歳を重ねることは楽しみです。明日の自分が今日の自分を驚かせる日々に歓喜します。そうやって過ごした自分は自分を裏切らないような気がするし、それは結局他人を裏切らないことであると考えています。



○付き合いを重ねるということ。


自分が歳を重ねているということは、近しい人たちも歳を重ねているわけで。10年を超える付き合いになってくると、歳取ったなあこの人、という方と、いい歳の重ね方をしているなあこの人、という方がいらっしゃいます。後者と付き合っていきたいなと思います。

20歳そこそこから知っている人たちが家族を持ち、キャリアを充実させ、社会の中で確かな位置を占めている。それを感じるだけでもある種の幸福を感じます。

また、ずっと知っていたけど初めてご一緒する方、若い時にご一緒してしばらくご一緒しなかった方、このタイミングで初めてご一緒できて、逆に良かったし楽しいね!という方、色々なパターンがありますけども、これまでの10年を共にした方とは次の10年もご一緒したいし、知り合えて良かったという方は次の10年をご一緒したいと思う。

長い付き合いの中で、関係性が変わっていくのも面白いです。出演すると、昔から知ってくださっている方は「久々に俳優姿を見た」と言ってくださるし、最近の自分を知ってくださっている方は「俳優もされるんですね」と言ってくださる。そういうのも面白い。

一番がっかりするのは、今の僕を知らずに昔の僕のやっていたことやイメージでしかものを見ない人。僕は日々変わり続けているのに、いつまでも人を同じイメージでしか見ない、もしくは年齢や外側の情報だけでしか判断しない、そういう局面にぶつかるとがっかりするし失望するし前を向く力が失せていく気がします。
でももしかしたら僕自身が変わっていないからそう思われているのかもしれない、もちろんそうも思うんですけど、最近僕が何してるかも知らないくせに上から目線で話してくる人に対しては、「まあ今は俺の方が売れてるけどな」と心の中で悪態をついて後は二度とその人のことを考えません。

だからこそ僕は、目の前の今のその人をできるだけちゃんと見つめたいし、年齢や肩書に捉われずにその人を判断したいし、付き合っていきたいなと思っています。



○脚本の大事さを考えること。


僕は多分、脚本がある状態でオファーされない限り、俳優はもうやらないと思います。実際報酬の多寡によるんですけど、少なくとも小さい規模の公演では、受けないと思います。少なくとも粗い第一稿がある、とか、半分くらいまではあるんですけど…とか、それくらいの情報が欲しい。

これは別に、脚本が遅いことに憤っている、とかそういうことではないです。誤解のないようにお願いします。まあ、完全にそれがゼロかと言われるとなんとも言えない所ですが、別に稽古を進めながら書いていくスタイルを否定するつもりはないし、面白くなるなら本番一週間前に大幅な書き換えがあったっていいと思うし、脚本が遅くてもすぐに覚えて対応する見事な俳優さんもたくさんいらっしゃるし、だからそれをどうこうしてほしいということではない。あくまで僕はもう、そのスタイルにはついていけないと思っているだけです。

まず、今の自分が抱えている仕事量を考えると、どうしても稽古を進めながら他の仕事をしなければならない。そういう時に脚本が上がって来ない、上がっても変わるかもしれない、という状態では、どう考えてもベストを尽くせないからです。若い時のようにバイトしながら俳優だけやっていたらできたかもしれないけど、今は脚本や演出、プロデュースにも噛んでいたりする。仕事の量が単純に増えている。クリエイティブな脳も常に働かせている。その中で次々に上がって来る台詞に対応するのは僕には無理です。稽古場でも迷惑を掛けるし、精神衛生上もとても良くない。それは2019年に嫌というほど感じました。

それに、一体どんな話になるのか分からないのにお客様に作品をオススメすることはできない。これは脚本家として活動しているから思うのかもしれません。いや、多くの俳優さんも同様に思っているはず。彼らだってその不安は抱えながら、いや、私が絶対に面白くしてやる!という覚悟をお持ちなだけだと思うんです。そのスタンスでは僕はできないんだということに気付いたんです。脚本家や演出家が俳優さんのそういう心意気に乗っかるのは、俺はズルいと思うんですよ。
たまーに脚本家や演出家の方で、「いやーなんとかなったねー」とか言う方がいますけど、いやいや、なんとかしてくれた人がいるだけだから、と思うこともありますね。お前の力じゃねえぞと。

俳優が凄いからとかスタッフワークが素晴らしいからとか、そういうことももちろんお客様に対してご提案できることなんですけど、僕はやっぱり、作品の面白さは脚本が百パーセントだと思っているんです。これはこの十七年間あらゆるセクションをやって来てその結果思うことなんですが、そのスタンスを今の僕は譲れない。設計図がダメな家が頑丈で快適で美しいわけないんです。だから、脚本がない状態で受けた仕事でお客様にその作品を薦める時、僕は基本的に嘘をついていることになる。結果面白くなったとしても、過程で何を言っても嘘をついている罪悪感と闘わなければいけなくなる。それはこれ以上、今後、したくありません。

ということは、僕も誰かに出演のオファーをする時は極力第一稿を上げていくべきなんですね。それはできる気がする。できるかもしれない。少なくとも自分で企画する時はそうしたいです。



○僕の所で止めなくてはいけない。


僕はわりと幸運な方で、セクハラやパワハラなどのいわゆるハラスメント行為にあまり接さずにこの仕事をしてきたと思っているんですが(男性だからかもしれませんが)、それでも多少それに触れたり直面させられたりすることはありました。

まず、あらゆる人に言いたいんですが、苦労なんかしない方がいいに決まってるんですよ。苦痛は感じないに越したことはないんですよ。

「俺もそういう苦難を乗り越えて来たから」とか、「先輩のそういうしごきに耐えて来たから」とか、そういうことをありがたがる風潮がバカの露見なんですよ。周りにそういうヤバいバカがいたら全力で逃げてください。もしくは訴えて排斥してください。あなたが傷付くだけですから。

何度でも何度でも言いますよ。彼らはバカです。間違っています。そういう意見は全て、その人の能力の低さを顕現させているだけです。強い言葉を使わなくても、人を動かしていくことはできます。絶対にできます。

本当に何度でも言いますよ。苦労も苦痛もない方がいいんですよ。暴力も暴言もなくていいんですよ。人格否定も人生批判も誰にもそんなことをする権利はないんですよ。どんなに偉いプロデューサーにも演出家にも俳優にも、基本的人権を侵害する権利は与えられてないんですよ。この地球上の誰も、大統領でさえ、民主国家においてはそんな権利ないんですよ。それが侵害されて当然ならば、日本は民主国家じゃないんです。そんな国は覆さなきゃいけないんです。

いやいや、苦労するべきだ!ってのもね、分かるんです言ってることは。でも、あなたが苦労や苦痛と感じたらもうダメなんです。他の人が「大変そうだね、苦労してるね」と思っても、俺はそう思わない、必要なことを必要なだけやってる、楽しい、と思えればいいですよ。でも、あなたが苦労や苦痛を感じたらもうダメです。それは続けなくていいし、間違ってます。


僕は、そういうあらゆる全てを僕の所で止めなくてはいけないと思っているんです。


上の世代がいなくなったらよりよい社会になる、という考えは僕は間違っていると思います。若い世代の方がオープンマインドか?と言われれば、技術は向上しているかもしれませんが、社会の在り方が大きく変貌しているわけではないと思います。metooの流れはとてもいいことですが、だからと言ってすぐに良くない風潮がなくなるとは僕は思っていません。

簡単に言えば、五十代や六十代でも素晴らしい人はたくさんいるし、十代や二十代にも平気でハラスメントを行使するクソみたいな奴がたくさんいるということです。今のままでは五十年後も百年後も同じです。まあその頃に日本がまだ今の国家の体制を保てていればいいですけどね。そのために頑張っていかなきゃいけないわけですけど。

だからこそ、僕は僕の所でそれらを止めなければいけないんです。では僕は何をするか?僕が関わる現場を健全なものにしたいんです。須貝さんと一緒の現場が本当に楽しくてクリエイティブで最高だった。そういう流れを作りたいんです。そうすれば他の嫌な現場で仕事したくなくなるでしょ?小さい一歩ですけど、そういう流れを作りたいんです。

今、自信があるから、こういうことを言えるようになっています。僕は僕を信頼しています。今年はどの現場にいても、僕は凄いなと思いました。本当にそう思ったからここで言います。それはね、作品の良し悪しじゃなくて(いや、もちろんそっちも自信を持って言いたいけどさ、反省もたくさんあるから)、制作過程の話で。僕は誰のことも蔑ろにしなかったし、蔑ろにされても耐えて見せたし、結果を出した。そのことに誇りを感じるんです。

多分その中で、蔑ろにされなかったことに感動している人もいるはずだし、僕は僕を蔑ろにした人とは今後絶対に仕事しないし、そういう前向きな流れの中に自分がいた。それがすごく大事なんです。

これはまあ、分かんないけどね。蔑ろにされたって思う人もいるかもしれないし、逆に僕と二度とやらないって思った人もいるだろうから。お互い様なのかもしれないけど。でも、どっちにしろ、僕は2019年、僕の所で止めるために最大限の努力をできたと思っているんです。これをあと何年繰り返せるかの勝負なんですよ。


どうせいつか死ぬなら、最高の世界の中で死にたい。最高の世界っていうのは、全員が毎日笑ってる世界です。手を取り合って。そんくらいの理想を持たずに、何がアーティストか。片腹痛いわ。






以上。雑記でした。
今年もよろしくお願いいたします。