売らないということ。

二〇一九年が半分過ぎようとしている。どうも、須貝です。
今回も色々思うことをつらつらと。



○聞かないということ。


いい大人になって他人の生き方にごちゃごちゃケチをつけたり注文をしたり批判をしたりするのは野暮ってもんで、どの言葉を使うかは慎重に選ぶべきだし、あまりにも無謀に投げられた言葉は聞かなくてもいいんじゃないでしょうか。信頼する方の言葉は肝に銘ずる、それくらいでいいと思う。

なんでもかんでも聞かない、ということではなくて、それだとあまりにも狭量になってしまうから、どの意見を聞くかということもちゃんと考えていかないといけない、という意味で。イエスマンばかり周りに集めるということじゃなくてね。どんな言葉も、聞く自由も聞かない自由もあるのです。でも言葉は聞こえてきてしまうから、聞かないということの方が技術としてはとても難しい。

誰かが僕に色々言ってくる場合は、ケチをつけられているのか本当に僕のことを思って言ってくれているのか、その区別はつくから、ケチをつけてくる人とは距離を置く。耳の痛い助言はちゃんと聞くけど、程度の低い文句や形を変えた自慢や歪んだ自己主張や醜い僻みまでちゃんと聞いてやる必要はない。



○売らないということ。


この年齢になってみると、魂を売る、売らないということに関しては、勝手にさせてもらうし勝手にしたらいいと思っている。お互いいい歳なんだから、必要以上に干渉するものでもないのではないでしょうか。売る売らないという、その辺の判断は当人に任せておけばいいでしょう。

十代後半から二十代前半くらいで、表現の世界に入っていこう、入って間もないという方、表現の世界に限らず職業の世界に入っていこう、入って間もないという方、あるいは新しく学生生活を始められた方も対象に入るかもしれないが、「魂を売らない」ということについて話したい。

「魂を売る」という表現があるからには、魂は売り物だ。売らずに在庫として抱えてもいいが、まずは売ってみろと思う。要は、何でもやってみろということで。貨幣と同じようにどんどん使って流通させて、魂の経済を盛んにすべきだと思う。売ってみないと価値も分からないし。

俳優の先輩に言われた言葉で、「三十までは仕事を断るな」というものがあって、これに当時二十代前半だった僕は非常な感銘を受けた。以来三十まで、スケジュールが難しい以外の理由で仕事を断らなかった。流されるままに生きてみることも必要だと思う。求められるままに応じてみることもある時期には必要だと思う。

魂を売らないと言えば聞こえはいいが、魂の価値を自分一人で決めるのは非常に危険だと思う。自分の可能性を著しく狭めることになりはしないか、考えてみるのもいいかもしれない。皆さんの周りがカッコいい大人たちで溢れていればそれが一番素晴らしいのだけど、残念ながらなかなかそうはいかない。非常に申し訳ないが、ダメな大人もたくさんいる。そういう人たちは間違いなく、若い時分に魂の売り方を間違えた人たちだろうと思う。

自分が本当は何を求めているのかを、自分一人で気付いていくことはなかなか難しい。人に関わることで気付いていった方がはるかに早くて楽だ。こういう仕事をすると僕は嫌な気持ちになるのだ、こういう人と仕事をすると自分は成長した気がするのだ、こういう人とは二度と関わりたくない、全てやってみないと分からないことだ。意外と、「やってみる」人は少ない。やらずに保険をかけて諦める人が多い。歩いたことのない道を歩いてみようという人は実は多くない。まずやってみればいいと思う。やってみて向いていないと思えばすぐにやめたらいい。漫画家の園山俊二氏は出社した瞬間に仕事を辞めたそうだ(『愛…しりそめし頃に…』に載ってますね)。でもこれも、就職してみてはいる。辞めた方がいいという判断が非常に早かっただけだ。

そういう姿勢は意外と、稽古場などですぐに分かってしまう。「こうしてみよう」というシンプルな提案にすら乗って来ない。飛び込む準備ができていない。舞台に立つ用意がないままに舞台に上がってしまっている人が思っている以上に多い。彼らは俳優ではなく、台詞と動きを覚えた一般人でしかない。有名無名は関係ない。存在の濃さの話になってくる。
そして実はこれは、若い時にどう過ごしたかで決定されてしまう種類のもので、三十になってからやってみようと思っても既に遅い。魂の売買は是非、若い内にやってみるべきだ。



○売るべきではないということ。


魂はどんどん売っていいと思うが、命や健康が脅かされる場合はその仕事は避けた方がいい。健康を害す経験は基本的にはしない方がいい。もちろんがむしゃらに働かねばならない時も来る。とにかくなんでもやってみようと思えば時間は常に足りることはない。でも限界はある。倒れたり謎の発疹が出たり家から出られなくなったりしたら、それはやっぱり危険信号なので従った方がいい。

誰かを深く傷つけることもやらない方がいい。当たり前のことを言っているんだけど、表現に携わるとそれだけで偉くなった気になるから、目が届かなくなりがちになる。僕は大切な人を傷付けてきたから、心から言いたい。自分が及ぼす影響がどれくらいかをしっかり把握している人が大人なんだと思う。

お金を損することが分かりきっている経験もしなくていい。お金も使ってみないとその価値が分からないので、失敗は多い方がいいと思ってはいるのだが、自分一人で返しきれない借金を負うようなことはあまり薦められない。お金の遣い方が下手な大人は格好悪い。できればそういう男にはなりたくない。これは常に思っている。

経験が少ない内からイメージで仕事を制限してしまうくらいなら、とりあえずやってみて失敗から学べばいいと思うのだが、同じ失敗は二度と繰り返さない方がいい。次はうまくいくかも、なんてことはない。同じ経緯を辿れば同じ失敗をするのは当たり前だ。何度も失敗して同じ文句ばかり言っている人はただのダメな人だ。他人から見たら失敗と思われても、自分にとって意味があれば別に構わない。それは失敗ではない。でもそう思えないのならそれは失敗で、その経験はちゃんと生かさなければならない。

ただひたすらに魂を売る日々を過ごしていくと、シンプルに疲弊する。疲れたらいったんやめてみたらいい。そのままやめてもいいし、また始めてもいい。それを何度か繰り返すと、いつか魂を売る日々が終わったことに気付く時が来る。それから魂をどう売るか考えればいい。楽しい苦痛の日々が始まる。終わりのない愉快な地獄が待っている。その時には自然とお金が稼げているはず。多分。



7月は『オリエント急行殺人事件』が、8月には『Solace-慰め-』が、11月にはカリンカが、12月にはTAACがあります。合間合間に色々とお知らせできることもあると思います。色々目白押しです。自分を見失わずにやっていきたいと思います。

光が光の速さでここに届いて、時間は時間の流れのままに過ぎ去っていき、声は声の震える速度で伝わっていくという、たったそれだけのことをいつもいつも考えている。