何もできないという幻想を砕く。

どうも、須貝です。


monophonic orchestra 9 『この町に手紙は来ない』、遅ればせながら無事終演いたしました。公演写真など近日中にHPにアップしたいと思っています。

振り返っても、攻めた作品だったなぁと思います。役者がよくついてきてくれたなと、それだけに頭が下がる思いです。個人的には相変わらず今までで一番面白いと思いながら書いていましたが、評価は分かれるだろうなと思っていました。案の定そうなりましたが、それで良かったと思っています。惜しむらくはもっとたくさんの人に観ていただき、より評価がパッキリと分かれれば面白かったのですが、会場の選択や制作的な貧弱さなどのために叶わず、その点課題が残ります。

分からない、というご感想たくさんいただき、それでも面白かったという方とだからダメだったという方に分かれ、出演してくれた浅野千鶴さんにも「お客さんを信用してるね」と言ってもらいました。ある点、そうだろうと思います。が、それは挑戦でもあるのです。

僕が確実にできること、皆さんに確実に分かってもらえること、そこそこ面白いことを、小劇場という規模でやることの虚しさというか、意味のなさの話になるのでは、と思っていて、特にモノフォニックオーケストラは自分が今一番書きたいことを書くというコンセプトのもとにやっているので、毎度恐ろしさの中で、手探りで、何の担保もなくやるということに、いつまで挑戦できるかと、迎合しないでやっていけるかと、それが様々な仕事をいただく上で有機的に作用していけばいいなと考えていて、今回も初日を迎えるのが恐ろしくてたまりませんでした。この初めての恐ろしさはできれば死ぬまで味わい続けていきたいです。そこそこの面白さを求めるのであれば、是非TSUTAYAで100円で映画を借りてもらいたく思っており、事実自分もそうですし、今はHULUなどもありますし、テレビでもよい番組がたくさんありますし、特に小劇場で作品を作ることを考える時、僕らは傑作か駄作かの博打を常に打つべきで、それがお客様への礼儀であると考えている節があります。少なくとも自分は毎度同じだけの、安定したクオリティで笑える、泣ける、というものは一切作るつもりがありませんし、それは他の方々がたくさんやってらっしゃるので、上手にやってらっしゃる方にお任せした方が有意義であると思います。ウェルメイドなものを否定しているのではなく、僕もそういう作品、好んで観に行きますし、毎回同じものを提供する難しさがありますし、あくまで自分は、という話で。

なんてことをぐるぐる考えていた公演後でした。つまり、頑張れる限り闘い続けたいです。お金も稼がなきゃいけないので、常に闘えるかは分からないんですけど。


長くなっていますが、最近思っていることをば。


ずっと読もうと思っていたのですが、今さら、資料の一部としてやっと読みました。『殺人犯はそこにいる~隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』です。尊敬するノンフィクションライター(という枠組みでいいのか分からないのですが)を三人挙げろと言われれば、自分はジャレド・ダイアモンド氏(『文明崩壊』など)とサイモン・シン氏(『フェルマーの最終定理』など)とこの本の筆者、清水潔氏を挙げます。日本にピュリッツアー賞があれば二回は受賞しているだろう方です。『遺言~桶川ストーカー殺人事件の真相』を著した方であり、ストーカー規制法の成立に向けての原動力の一翼を担った方、端緒を開いた方、さらには警察より先に犯人を見つけちゃったことで一躍有名になった方です。昨日深夜から今朝にかけて、十時間で一気に読みました。読まされました。

本の内容に関しては正直、ここで語るより読んでもらった方が圧倒的に面白いと思うのでお手に取っていただくとして(ほぼ確実に書店にありますし、図書館でも借りられると思います)、自分も物書きの一人として…などと思っていたのが、物書き見習いだな、と認識を改めさせられたというか、執念、熱量、取材量が圧倒的なのです。桶川の事件に関する著作でも相当辟易したのですが、日本の司法制度の闇とひたすら向き合い続けてらっしゃいます。信じられないような出来事が日本で起こっています。変わらねえんだなあという、深い絶望があります。

と、思っていて、最近ずうっと思っていることと繋がってきているのですが、日本はいつからか民主主義国家でも法治国家でもなくなってしまった、と思っていたのが、果たして日本はそもそも、民主主義国家で法治国家だったのか?という疑問に行き当たりました。

清水さんは警察、検察などの司法と、彼らの主張をただ垂れ流すマスコミに怒りを向けてらっしゃいますが、じゃあ僕たちは?と思うのです。警察は僕らを守るべきだ、冤罪や不祥事があれば何やってんだ全く、となるわけですが、果たしてどれくらいの人がそれらが再発しないように監視しているのでしょうか?平和を人任せにしてやいないでしょうか?
欧米の民主主義は勝ち取ってきた経緯があると思うんですけど、僕らは民主主義国家という権利を守ろうとしているのだろうか。放っておけば何でもやってくれることを、イコール民主主義と思っていないか?と。

何度もここで書いてると思うんですが、民主主義国家である以上、選ばれた首相への批判は、それを選んだ我々への批判になるはず。それをただただ槍玉に上げて、代替案もなく批判するのはずるい。2chへの書き込みと大差ありません。今の報道も、受けとる側も、ネット上の掲示板程度のやり取りしかしていないのではないか?という危惧があります。

批判あるでしょうけど、僕はTwitter上で繰り広げられる「選挙行こう!」とか、「選挙行ってきた!」アピールが嫌いです。僕は選挙行ってます。でも行くか行かないかは強制されるものではないと思っているし、そもそも選挙に行くことが目的なのではなくて、自分が選んだ候補者がちゃんと国政を運営しているかどうかまでチェックして初めて、意味があるのではないかと。下手したら自分の投票した候補が当選したかどうかも知らないなんてことがあったりはしないよな…と思ってますが、それはないにしても、今その人が何やってるのか、どこまで僕らが把握しているのだろうと。不祥事やらどんだけ金を無駄遣いしたかやら不適切な発言やらを報道で目にしてあーあ、やっぱ日本しょうもねえなと歪んだ満足を得るよりも先に、僕らが、そういうニュースではなく、もっと実のあるものを求めていると、アピールするべきなのではないかと。

要は、政治家にも、警察にも、マスコミにも、舐められているんじゃないですか?国民が。
どうせ変わんないだろうとか、どうせ黙ってるだろうとか、こんなん出しときゃ満足でしょ、とか。

冒頭の話に戻っていくんですが、だから、今自分が一番ヤバいと思っていることを書くんですね。もうすでに評価を得ていることなんか興味がないんです。でもそれは恐ろしい孤独です。

僕は、演劇は脚本が100だと思ってます。脚本が面白さの全てを決める。だけど、脚本だけでは成立しないから難しい。この孤独と闘うために、仲間が必要なのです。だから座組み作りを大事に考えている。

話が千々に飛んで申し訳ないのですが、これも前にこちらで書いたような気がしますけど、以前本屋さんでアルバイトをしていた時、万引き犯を追っかけたことがあって。結局鞄を放り投げて彼は逃げ切り、商品は戻って来たのですが、一応警察には来てもらった。二人が三人、四人となって、代わる代わる警官が来る度に状況を説明し直す、でも話は進まない、結局鞄も材質的に指紋が取れない、実害のない万引き程度にわらわらとたかって何の進展もなし、正直、ああ、ダメだなこれはと思いました。もちろん全員がそうとは言いませんが、僕は僕の得た実体験として、何かあれば自分でなんとかしなければならないなと痛感しました。この時に、警察はダメだなあで終わってはいけない。警察は使い物にならないので、じゃあもし何かあったらどう対処しよう、を考える所まで、僕らは自主的であるべきなのです。


何かがダメであること、上手く機能していないこと、腐敗していること、それらと、僕たちが何もしないことの間には、何の相関関係もない。「どうせ何もできない」という幻想を打ち砕きたいと思っています。

何もしなければゼロ、でも何かやれば、例え1だとしても、ゼロではない。単純な算数の問題であって欲しいんです。


僕は演劇人なので、エンターテイナーでありたいと思っている。政治に口を出したければ政治家になるべきだと思っているから、政治的な演劇に意味があるのかよく分かっていない部分がある。でも、エンターテイメントは社会の中にこそあるべきだと思っているから、当然のように社会のことも知っているべきだと思っています。これは義務で理想。体現できるように精進あるのみ。


「何もできない」は存在しない。あるのは「何もしない」だけです。



同級生演劇部旗揚げ公演『悪巧みの夜』、稽古中です。勘を取り戻さねば。お待ちしてます。




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