Love,Lights,morning.

どうも、須貝です。

なんと、年が明けて2回目の投稿です。筆無精もここまでいくといかん。申し訳ありません。先に言いますけど、今回もいつもに輪をかけて長く書くと思います。覚悟して、1週間くらいかけて読んでいただきたいです。


さて、ご挨拶遅れました、ピヨラボ『リバース、リバース、リバース!』無事終わっておりました。2ヶ月前に。
そして、Mo’xtra produce『グリーン・マーダー・ケース』も無事終演いたしました。こちらは2週間前に。
ご来場くださった皆様、応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。

『この町に手紙は来ない』の辺りから感じていたのですが、自分のやりたいこととやれることと書きたいことと書けることのバランスが今、物凄い勢いで噛み合い始めている気がします。今まで同様に苦しんではいるのですが、いやむしろ難しいことに挑戦し続けているので困難は増しているのですが、できあがるもののクオリティが高くなっている。これは純粋な喜び、ありがたい実感です。


そして、次回作品のページが更新されております。要チェックですぜ。出演が5月に、演出が7月、8月にございます。今さらっと言いましたけど、結構忙しいですね。秋冬は多少空いてますよ。

5月は久々のオーストラ・マコンドー。ロシア革命をやります。脚本は劇団チョコレートケーキの古川健さん。僕は主人公チームの一員ですので、ガツっとお芝居している須貝が観たい!という人は必見。歴史に興味のある人もない人も楽しんでいただけると思います。でもちょっとだけ調べて来たらすんなり楽しめるかも。総勢35人で躍動いたします。ご予約は下記URLから!

http://ticket.corich.jp/apply/82125/016/

で、7月は劇団競泳水着の上野友之さんの脚本を演出します。出演者がこれまたいいんですわ!やっとお仕事できる!の方々や、うおー興味止まんねえ!の方々と、名作『りんごりらっぱんつ』を再演です。リライト入りますけど、骨子は生きてます。お楽しみに。

そして8月は野生児童さんの演出。ワークショップで知り合った流れからまさか本当に一緒に仕事するとは思いませんでしたが、有田杏子さんの脚本を演出します。野生児童の主宰さんで、劇団鹿殺しの劇団員ですよ。こちらも出演者は個性派揃い。オーディションから立ち会いました。楽しかったぜ。四谷怪談をやるので、お祓いはちゃんとしなければ…。皆怪我なく無事に終えられますように…。演出家の仕事は役者に怪我をさせないことに尽きると思ってます。後は最後まで足掻くこと。


じゃ、そろそろ色々話しましょうか。



前述の『グリーン・マーダー・ケース』、ありがたいことに満員御礼でございました。モノフォニとは微妙に違いますけど、自分の企画としては最大動員でした。多謝。期間中からもっと大きな劇場で、もしくは長い期間でと、たくさんのご要望をいただきまして、心苦しいことではございますが、当日券のために並んでいたお客様にお帰りいただいたりもして、これは是非再演しなければと。出演者にも本当に助けてもらいました。

作品を書く際のテーマというか、キャラクターの葛藤や行動の方向性というものがなんとなくあって、大体僕の場合それは「取り返しのつかなさ」なんですね。これは多分色んなところで何度も書いてると思うのですが、命ですとか、時間ですとか、出会いや別れですとか、そういう、取り返しようのないものを振り切ったり、またはそれに引き摺られたり、そうやって人は生きているものと、人生哲学というほど大袈裟ではないのですが思っていて、どのキャラクターに関しても、「彼、もしくは彼女は何を失ったのか。そしてそれを果たして彼、もしくは彼女は取り戻したいのか?もう一度向き合えるのか?どうでもいいと思っているのか?またはそう思おうとしているのか?実は何よりも大事に思っているのか?」なんてことばかりを考えています。

ですから自然、傷付いた、ある意味では傷を負っていると言える、そういう人にばかり興味がいく。そういう人ばかり出てきます。

『リバース、リバース、リバース!』が顕著にそういう話で、生み直しの話だったんですが、死んだはずの友達が死んだ時と全く同じ姿形で生きていて、記憶もちゃんと残っている。実は別の母親の体を通して生み直されていた。取り返しのつかなかったはずのものが取り返せてしまった時、私たちはどうなるんだろうと、そういう興味からスタートした話。そして自分なりに、一つの答えに辿り着けたような気のした作品です。

『グリーン・マーダー・ケース』もある意味では取り返せないものの話だと思っていて。取り返せないというとちょっと違うかもしれないんですけど、ざっくり言えば、私たちがこの世界に生まれ落ちてしまったこと、その変えようのない事実をどう受け入れるのか?ということが根っこにある。

作中にも上演台本の冒頭にもある「人生はやはり一つの祝福だ たとえ君が祝福できないとしても」という断定はその答えに対する一つの指針なんです。私たちは、「私たちが生まれなかった」という状態を取り返すことはできない。例え自ら死んだとしても、私たちが存在した事実を無にすることはできない。例え呪うべき出自であったとしても、その奇跡と厳然たる事実は祝福されるべきなのだろうと、そういう孤独な割り切りが作品の底に流れている。

原作にはないオリジナルキャストであるエマ・ヒュースという女は、祝福という発想があるかは分かりませんが、生まれたからには生ききろうとしているように思われます。
別の話ですが、自分の中で彼女は「運命」の象徴で、時に無慈悲で唐突で残酷なのですが、またある時にはそれがそうあって然るべきと思われるような、そういう女。彼女は決して他の誰かを羨まない。与えられたカードを最大限に利用している。取り返せないものはあっさり捨てるが、その代わり別の何かをきっちり奪って補っている。でもふと、ある瞬間に、ほんの少しの間だけ、取り返せなかったもののことを想う。その時彼女は極めて人間的に見える。そういう瞬間がとても美しいなと思います。

もう一人のオリジナルキャスト、サイモン・ブレイは「無力」の象徴です。彼の無力というよりは、人間の無力の象徴だと思っていて、取り返しのつかないことの目の前で立ち止まっている我々を体現した人だと、僕は勝手に思っています。彼に関してはでも、どう解釈するかはお客さんの自由裁量に委ねられていると思っています。どちらにしろ彼はずっと人間であり続けていて、それも美しい。愚かな我々が生きることを許されるこの世界は、一体何を考えて横たわっているのだろう。



この話の流れで。作品を書く上であまりルールを増やし過ぎないようにと思ってはいるのですが、いくつかの指針があります。「奇跡が起こっていること」、「超越していること」、「登場人物が全員最善を尽くそうとしていること」、「予め用意したプロットがあったとしても、登場人物がそれを拒否した場合、潔くそれを捨てること」、「でもラストは変えないこと」、などなど。

「超越していること」、ってのが一番分かりにくいと思います。僕もよく分かってないかもしれません。例えば設定とかキャラクターとかそういうもののどこかが、という程度なんですが、日常から離れていること、であったり、強いストレスがかかっていること、であったりします。物語が物語になるための強度と言い換えてもいいです。この世を越えていることが大事なんです。別にSFとかそういうことでなく。



いい台詞は経験を積めばそこそこ書けると思います。大事なのは、訪れる沈黙が最も雄弁な台詞になるように、他の台詞で登場人物を誘導してあげること。そこまでできれば後は勝手に登場人物たちが歩き始めます。



仕事がしにくいなあと思う種類の人がいて、第一声がマイナス発言から始まる人。こちらのやりたいことやイメージを伝えて、それに対する返答がまず「でも」や「できません」で始まってしまうと、あっという間に次に進めなくなる。これは困ります。どの職種でもそうだと思いますが、特に我々のようなクリエイティブワークでは厳禁かなと。

経験上、若い人に多い気がします。これは多分今の世代の人が悪い、ということではなくて、あらゆる時代の25~28歳くらいの年齢で起こり得ることじゃないかなと思う。自分もそうだったと思うし。ある程度経験を積み、実績も多少あり、後輩もでき、先輩との繋がりも増えて、自我が芽生え始めるとこうなるのかもしれない。いや、どの年齢でもいると思いますけど。

こちらだってもちろん、予算や空間やその他の制限があることは分かっていて、その手綱を握ってもらうことを求めてはいるんです。が、こちらのやりたいことを実現してもらうために雇っているわけだから、それを汲む、具現化する気持ちではいて欲しい。
お世辞を言えとかイエスマンが欲しいとかそういうことではなく、クライアントの希望を実現する前向きさがあった方がいいし、できないとしても建設的な代替案を提示して欲しい。30歳越えてそういうタイプの人が減るのは、結局そのタイプの人が仕事を失っているから、もしくはこれではダメだとどこかで気付いて修正するからではないかと思います。

こちらの希望ではなく、自分の希望ややりたいことや実績の自慢の延長のプランを押し付けられるのも嫌だなあと思います。これは逆に30歳以上に多いかもしれない。



Twitter上で流布される意見や感想というのはあくまで限定的な範囲での話で、タイムライン上の全員が一致した意見を言っていたとしても、そもそも自分の好みでフォローしたりされたりしている関係性の中での交流なわけだから、それが全員の意見であると錯覚するのは陥りやすい過ちのようが気がします。その他の人や世界を想像しなければならないのではと。対立意見を持つ人たちがTwitterをやっていなかったらそもそも、意見交換できてないわけじゃないですか。

っていうかTwitterの主なユーザーはアメリカ人と日本人なわけだから(アメリカ25%、日本が10%、3位がインドネシアで6%だそうですよ。意外)、その時点で世界の意見ではないと思うし。日本に限定しても、月間のアクティブユーザーが1500万人程度らしくて、つまりはたかだか10分の1の日本でしかない。

Twitterで政治的な話をしたくない理由の一つにその辺の感覚があって、自分の仲間たちに注意を喚起するという目的はあるかもしれませんが、「~はおかしいだろ」という批判を僕ら向けに発信されたところで、で、実際君はどうするんだい?と思っちゃうんですね。
別にするなとは言わないんですけど、同時に例えば、「~がおかしいと思ったので、~議員と会見して意見交換してきました」とか、「~は成立させてはいけない法律だから、弁護士の方数人とグループを作って意見書を作成しました」とか、そういう報告があったら「おぉ!」と思うんですよ。行動が伴わないことに賛成しようが反対しようが世界は大して動かないような気がする。

分かりやすいのでTwitterの話をしましたが、SNSはね、どれもこういう側面はありますよね。



今回のタイトルに特に意味はないんですけど、こういうタイトルの連作短編がやりたい。二人組の朝という縛りで、恋人とか夫婦とか親子とか友達とか、色んな朝の情景を描いてみたり。2時間半のお芝居をやったせいか、今短編欲がふつふつと湧いてきています。



最近は毎日稽古しています。『祖国は我らのために』、疲れる芝居ですが、観劇後の爽快感マックスを目指して日々精進いたします。

先日テレビで伊達公子さんが仰っていて、いたく共感した言葉に、「できないことがあるから面白い」というものがあって、歳を取ってできないことは増えたけど、その代わりに手に入れたものにそれ以上の価値を感じたり、違う何かで補えていたり、昔より優しくなれていたりすると、失ったものよりも得たものに目が向き、健全だなと思います。

誰かに誇れる生き方をしてきたかと言われれば疑問があるし、もちろん聖人君子ではないし、悩みながら間違いながらちょっとずつしか進めない毎日を送っているけど、それでも僕は最善を尽くしているし、胸を張って生きられるように目を真っ直ぐ前に向けて歩いているし、そう感じられた時に、過去の自分に対しては少しだけ、今の自分を誇れる。

僕は今まで誰かに希望をもらってきて、目標にしてきて、頼らせていただいてここまでやってこれたから、今度は僕が誰かの希望になり、目標になり、頼ってもらえるように、カッコよく生きたい。



Love,Lights,morning. はコメントを受け付けていません。

2017年を始めよう。

どうも、須貝です。ご無沙汰ですね。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。


年末は劇的忘年団2016!という最高にハッピーな企画を一色洋平くんとやらせていただいておりまして、三十名以上の演劇人プラス僕らの兄というなかなか乙なキャスティングでトーク&リーディングをお送りいたしました。僕は顔馴染みも多かったですが、初対面の方もかなりいました。チーム分けをしたのですが、チーム内の初対面率も高くて、お客さんはもとよりやってる当人たちにも楽しんでもらえたんじゃないかと思います。是非また来年やりたいですね。


さて、雑記をば。


○Mo’xtra produceという企画を立ち上げました。monophonic orchestra extra produceの略です。長いですね。だから略したんですが、また馴染みにくい名前と詰られそうです。簡単に言うと古典戯曲や小説を原作に作品を作っていく企画で、脚本や演出も僕に限りません。どちらかというと文学の匂いのすることをやりたいと考えています。ドストエフスキーとかヘッセとか戯曲化したいっす。
とか、気の早い話をしてますが、まずは旗揚げですよ。ヴァン・ダイン先生です。学生時分から親しんでおりますミステリー、『グリーン家殺人事件』を戯曲化します。事件から半年後の様子を描くつもりなのでほぼ創作かもしれませんが、舞台設定や人物設定はそのままに生かしていこうと思っております。こちらのブログの右側、「次回作品」の項に詳細がございますのでご覧くださいませ。予約開始は2月25日(土)です。

書くことの幅がどんどん広がってきております。いいことですね。楽しいです。SFの次はミステリーですよ。普通、一つのことを調査すると大体それに関連した話をいくつか書くのが楽といえば楽なもんで、同じようなテーマのものを書けば効率もいいと思うんですが、飽き性なもので、同一のテーマにいつまでも興味が持続することがあまりない。何かを調べて面白そうなプロットが十個くらいできたとしても、実際作品にする一つ以外は大体ストックへ直行、できるだけ新しいことに取り組もうと常に意識しています。


○『その夜』という小作品をブログの右側、「作品」の所に追加いたしました。先述の劇的忘年団でリーディングで発表したものです。分かりにくい話ですが、構図自体はとてもシンプルなので、最後までお読みいただければ幸いです。そんなに長くありませんので。


○重い腰を上げてようやく書きかけの小説を再開して書き始めております。毎日書くことを自分に課しています。書かないと気持ち悪く感じるようになってきたので、いい傾向ですね。春頃には書き終えたいです。ちゃんと前に進まなければ。


○2月に脚本と演出を務めさせていただく舞台がありますが、詳細は追ってご報告いたします。お楽しみに。


○作家は外道です。架空の登場人物に託すとはいえ、誰かの悩みや苦しみや悲しみを、大衆が興味を持つ娯楽に置き換えてしまうのだから。誰かの痛みを面白いと感じて取り上げているわけですから。自分は、社会派の作品というものは基本的にないと考えています。ドキュメンタリーでさえそれを誰かが面白いと感じたから成り立ち、誰かに面白いと思ってもらえなければ観てももらえない。全てがエンターテインメントで、その中で比較的社会の問題へ観客の目を向けたい、とか、とにかく楽しんでもらえれば、とか、作品の目的の違いがあるだけ。でも作り手は結局外道だと思っています。高尚なテーマを取り扱っていれば、自分は立派である、自分は偉いと錯覚してしまうかもしれない。だから自分への戒めを込めて、常に、お前は外道なのだと言い聞かせながら作品を書いている。それがせめてもの償いのような気がしています。

でもその戒めが行き過ぎれば自己嫌悪と諦念から、今度は本物の外道になってしまうかもしれない。だから、「作家は外道である。しかしせめて、誇り高い外道でありたい」、と思うようにしています。一歩踏み込めなければ面白いものは書けない。それは外道の行為。でも大事な部分は侵さない。それには誇りが必要です。そのバランスをいかに保ち続けることができるかを考えています。


○今まで興味を持たなかったこと、でも今年進んで勉強したいと思っていること、政治です。選挙に行くだけで参政していると勘違いしてはいないだろうか。この国はそれで動いているのに。まずは入門マンガで勉強しようっと。


○加えて、また裁判の傍聴に行きたいなあと思っています。前に行った時はまだ学生だったので、十年ほど前でしょうか。検事と弁護士の二人しか出て来ない二人芝居を書きたいです。


○最近はお金よりも、時間を失うことの方が恐ろしいです。お金は稼げば増えるけど、時間は増えない。自分にとって意味のある出会いや観劇や鑑賞に時間を使いたいです。



姪っ子の成長が早くてびっくりしてます。話し始めたらもっと楽しくなるだろうな。

今年もたくさんの舞台、作品を作っていきます。常に皆さんに楽しんでいただけるよう精進して参りますので、本年も何卒よろしくお願いいたします。今年一年劇場で、もしくは何らかの紙面で、元気にお会いしましょう。


2017年を始めよう。 はコメントを受け付けていません。

今宵より、悪巧み。

どうも、須貝です。

ついに今日より始まります。同級生たちと作る同級生演劇部、旗揚げ公演『悪巧みの夜』です。やっとこさ漕ぎ着けた。

いつも不安な気持ちを抱えて初日を迎えますが、今回はひとしお、大丈夫だろうかとビクビクしております。脚本を書いた身としても演ずる身としても、恐ろしい。そんなことを言っている場合でもないけど。

常に、今できる精一杯。きちんとお伝えできるよう、丹念に気ままに紡ぎたいと思います。6日まで。お待ちしております!


同級生演劇部旗揚げ公演
『悪巧みの夜』

——————————————————-
お前を殺す。
七十分でお前を殺す。そのための悪巧み。そのための、夜。

北関東のある場所にひっそり佇む一軒の児童養護施設、「いちじくの家」。
東孝介、名和多恵、柊薫は同い年で、三人ともいちじくの家の出身者だった。
二〇一五年十一月、多恵と懇意にしていた女性が突然失踪する。
彼女もいちじくの家の出身者であり、職員として働いていた。
彼女を探し、彼女の残した痕跡を辿っていくうちに、三人は現園長がある犯罪に手を染めている可能性に行き当たる…。

今夜は誰も眠らない。お前が死ぬまで眠らない。
——————————————————-

■脚本・演出  須貝 英 (monophonic orchestra)

■日程  2016年11月1日(火)~6日(日)

■会場
梅ヶ丘BOX
〒154-0022 東京都世田谷区梅丘1-24-14 フリート梅丘B1F
・小田急線梅ヶ丘駅より徒歩1分

■出演
浅野千鶴(味わい堂々)
佐藤みゆき
須貝英


■タイムテーブル
11月1日(火) 19:30★
11月2日(水) 19:30
11月3日(木・祝) 14:30/19:30
11月4日(金) 19:30
11月5日(土) 14:30/19:30
11月6日(日) 14:30

※★は初日割引実施ステージです。
※受付開始及び当日券の販売開始は開演の45分前、開場は開演の30分前です。
※開演5分前までにご来場いただけない場合、予めご予約されていても、当日券をお買い上げのお客様のご入場を優先させていただく場合がございます。
※電話、メールに関わらず、公演当日のご予約は全て当日料金でのお取り扱いとなります。
※座席数に限りがございます。お早めのご来場をお願いいたします。

■チケット(全席自由)
●前売 3,200円
●当日 3,500円

●初日割引 3,000円
※11月1日(火) 19時30分開演の回のみ

●ペア割引 6,000円
※2名様でのご来場に限ります。
※予約限定です。当日券の販売はございません。


■チケット予約フォーム(こちらをクリックしてください)

※ご観劇前日24時までのご使用となります。
※それ以降のご予約は当日料金となります。電話、もしくはメールでお申し付けください。

■メールでのご予約
1)お名前 2)ご観劇日時 3)枚数 4)前売/初日/ペア 5)電話番号・メールアドレス
以上をご明記の上、件名を「予約」として下記のメールアドレスまでご送信ください。

※ペア割引でご予約の場合、3)の枚数には組数をご明記ください。
例)1組2名様でご来場の場合→枚数1枚
※4)の券種はいずれか一つをお選びください。
※ご予約メールには必ず返信させていただきます。3日経ってもこちらからの返信がない場合、お手数ですが再度同内容をご送信ください。
それでも連絡がない場合は迷惑メールフォルダをご確認いただいた上で、下記電話番号までご連絡ください。

■お問い合わせ
TEL 090-9950-6200(公演期間中のみ)
HP http://dokyuseiengekibu.strikingly.com/
Mail dokyusei.engekibu@gmail.com
Facebook https://m.facebook.com/dokyuseiengekibu/
Twitter @dokyusei_gekibu


お待ちしております!

今宵より、悪巧み。 はコメントを受け付けていません。

何もできないという幻想を砕く。

どうも、須貝です。


monophonic orchestra 9 『この町に手紙は来ない』、遅ればせながら無事終演いたしました。公演写真など近日中にHPにアップしたいと思っています。

振り返っても、攻めた作品だったなぁと思います。役者がよくついてきてくれたなと、それだけに頭が下がる思いです。個人的には相変わらず今までで一番面白いと思いながら書いていましたが、評価は分かれるだろうなと思っていました。案の定そうなりましたが、それで良かったと思っています。惜しむらくはもっとたくさんの人に観ていただき、より評価がパッキリと分かれれば面白かったのですが、会場の選択や制作的な貧弱さなどのために叶わず、その点課題が残ります。

分からない、というご感想たくさんいただき、それでも面白かったという方とだからダメだったという方に分かれ、出演してくれた浅野千鶴さんにも「お客さんを信用してるね」と言ってもらいました。ある点、そうだろうと思います。が、それは挑戦でもあるのです。

僕が確実にできること、皆さんに確実に分かってもらえること、そこそこ面白いことを、小劇場という規模でやることの虚しさというか、意味のなさの話になるのでは、と思っていて、特にモノフォニックオーケストラは自分が今一番書きたいことを書くというコンセプトのもとにやっているので、毎度恐ろしさの中で、手探りで、何の担保もなくやるということに、いつまで挑戦できるかと、迎合しないでやっていけるかと、それが様々な仕事をいただく上で有機的に作用していけばいいなと考えていて、今回も初日を迎えるのが恐ろしくてたまりませんでした。この初めての恐ろしさはできれば死ぬまで味わい続けていきたいです。そこそこの面白さを求めるのであれば、是非TSUTAYAで100円で映画を借りてもらいたく思っており、事実自分もそうですし、今はHULUなどもありますし、テレビでもよい番組がたくさんありますし、特に小劇場で作品を作ることを考える時、僕らは傑作か駄作かの博打を常に打つべきで、それがお客様への礼儀であると考えている節があります。少なくとも自分は毎度同じだけの、安定したクオリティで笑える、泣ける、というものは一切作るつもりがありませんし、それは他の方々がたくさんやってらっしゃるので、上手にやってらっしゃる方にお任せした方が有意義であると思います。ウェルメイドなものを否定しているのではなく、僕もそういう作品、好んで観に行きますし、毎回同じものを提供する難しさがありますし、あくまで自分は、という話で。

なんてことをぐるぐる考えていた公演後でした。つまり、頑張れる限り闘い続けたいです。お金も稼がなきゃいけないので、常に闘えるかは分からないんですけど。


長くなっていますが、最近思っていることをば。


ずっと読もうと思っていたのですが、今さら、資料の一部としてやっと読みました。『殺人犯はそこにいる~隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』です。尊敬するノンフィクションライター(という枠組みでいいのか分からないのですが)を三人挙げろと言われれば、自分はジャレド・ダイアモンド氏(『文明崩壊』など)とサイモン・シン氏(『フェルマーの最終定理』など)とこの本の筆者、清水潔氏を挙げます。日本にピュリッツアー賞があれば二回は受賞しているだろう方です。『遺言~桶川ストーカー殺人事件の真相』を著した方であり、ストーカー規制法の成立に向けての原動力の一翼を担った方、端緒を開いた方、さらには警察より先に犯人を見つけちゃったことで一躍有名になった方です。昨日深夜から今朝にかけて、十時間で一気に読みました。読まされました。

本の内容に関しては正直、ここで語るより読んでもらった方が圧倒的に面白いと思うのでお手に取っていただくとして(ほぼ確実に書店にありますし、図書館でも借りられると思います)、自分も物書きの一人として…などと思っていたのが、物書き見習いだな、と認識を改めさせられたというか、執念、熱量、取材量が圧倒的なのです。桶川の事件に関する著作でも相当辟易したのですが、日本の司法制度の闇とひたすら向き合い続けてらっしゃいます。信じられないような出来事が日本で起こっています。変わらねえんだなあという、深い絶望があります。

と、思っていて、最近ずうっと思っていることと繋がってきているのですが、日本はいつからか民主主義国家でも法治国家でもなくなってしまった、と思っていたのが、果たして日本はそもそも、民主主義国家で法治国家だったのか?という疑問に行き当たりました。

清水さんは警察、検察などの司法と、彼らの主張をただ垂れ流すマスコミに怒りを向けてらっしゃいますが、じゃあ僕たちは?と思うのです。警察は僕らを守るべきだ、冤罪や不祥事があれば何やってんだ全く、となるわけですが、果たしてどれくらいの人がそれらが再発しないように監視しているのでしょうか?平和を人任せにしてやいないでしょうか?
欧米の民主主義は勝ち取ってきた経緯があると思うんですけど、僕らは民主主義国家という権利を守ろうとしているのだろうか。放っておけば何でもやってくれることを、イコール民主主義と思っていないか?と。

何度もここで書いてると思うんですが、民主主義国家である以上、選ばれた首相への批判は、それを選んだ我々への批判になるはず。それをただただ槍玉に上げて、代替案もなく批判するのはずるい。2chへの書き込みと大差ありません。今の報道も、受けとる側も、ネット上の掲示板程度のやり取りしかしていないのではないか?という危惧があります。

批判あるでしょうけど、僕はTwitter上で繰り広げられる「選挙行こう!」とか、「選挙行ってきた!」アピールが嫌いです。僕は選挙行ってます。でも行くか行かないかは強制されるものではないと思っているし、そもそも選挙に行くことが目的なのではなくて、自分が選んだ候補者がちゃんと国政を運営しているかどうかまでチェックして初めて、意味があるのではないかと。下手したら自分の投票した候補が当選したかどうかも知らないなんてことがあったりはしないよな…と思ってますが、それはないにしても、今その人が何やってるのか、どこまで僕らが把握しているのだろうと。不祥事やらどんだけ金を無駄遣いしたかやら不適切な発言やらを報道で目にしてあーあ、やっぱ日本しょうもねえなと歪んだ満足を得るよりも先に、僕らが、そういうニュースではなく、もっと実のあるものを求めていると、アピールするべきなのではないかと。

要は、政治家にも、警察にも、マスコミにも、舐められているんじゃないですか?国民が。
どうせ変わんないだろうとか、どうせ黙ってるだろうとか、こんなん出しときゃ満足でしょ、とか。

冒頭の話に戻っていくんですが、だから、今自分が一番ヤバいと思っていることを書くんですね。もうすでに評価を得ていることなんか興味がないんです。でもそれは恐ろしい孤独です。

僕は、演劇は脚本が100だと思ってます。脚本が面白さの全てを決める。だけど、脚本だけでは成立しないから難しい。この孤独と闘うために、仲間が必要なのです。だから座組み作りを大事に考えている。

話が千々に飛んで申し訳ないのですが、これも前にこちらで書いたような気がしますけど、以前本屋さんでアルバイトをしていた時、万引き犯を追っかけたことがあって。結局鞄を放り投げて彼は逃げ切り、商品は戻って来たのですが、一応警察には来てもらった。二人が三人、四人となって、代わる代わる警官が来る度に状況を説明し直す、でも話は進まない、結局鞄も材質的に指紋が取れない、実害のない万引き程度にわらわらとたかって何の進展もなし、正直、ああ、ダメだなこれはと思いました。もちろん全員がそうとは言いませんが、僕は僕の得た実体験として、何かあれば自分でなんとかしなければならないなと痛感しました。この時に、警察はダメだなあで終わってはいけない。警察は使い物にならないので、じゃあもし何かあったらどう対処しよう、を考える所まで、僕らは自主的であるべきなのです。


何かがダメであること、上手く機能していないこと、腐敗していること、それらと、僕たちが何もしないことの間には、何の相関関係もない。「どうせ何もできない」という幻想を打ち砕きたいと思っています。

何もしなければゼロ、でも何かやれば、例え1だとしても、ゼロではない。単純な算数の問題であって欲しいんです。


僕は演劇人なので、エンターテイナーでありたいと思っている。政治に口を出したければ政治家になるべきだと思っているから、政治的な演劇に意味があるのかよく分かっていない部分がある。でも、エンターテイメントは社会の中にこそあるべきだと思っているから、当然のように社会のことも知っているべきだと思っています。これは義務で理想。体現できるように精進あるのみ。


「何もできない」は存在しない。あるのは「何もしない」だけです。



同級生演劇部旗揚げ公演『悪巧みの夜』、稽古中です。勘を取り戻さねば。お待ちしてます。




何もできないという幻想を砕く。 はコメントを受け付けていません。

この町に手紙は来ない

どうも、須貝です。

monophonic orchestraのお知らせです。なんともう初日まで一週間を切ってしまいました。
敬愛するガルシア=マルケスの『百年の孤独』、レイ・ブラッドベリの『火星年代記』、この二つを下敷きにした話をずっと考えてきました。

この二つの作品に共通する「寂しさ」。人が生きることを続ける上で抱えざるをえない寂しさのようなもの、孤独のようなもの、そういうものに取り組んでみたいなと。だから今回はとても、寂しいお話になってます。でも、きっと心地よい寂しさではないかなと。

六話構成の連作オムニバスで210年間を描いていきます。お楽しみに。
作品の世界観が分かる宣伝動画も配信中!本編の前日譚、第一話と第二話の間の物語、第二話と第三話の間の物語…といった形で進んでいきます。こちらもチェックしてみてください。

http://monophonicorchestra.com/yomoyama-monophonic


劇場は秋葉原にございます廃校利用の素敵なギャラリー、3331 Arts Chiyoda。場所もいい雰囲気醸してるんで、それもお楽しみに~!


monophonic orchestra 9
『この町に手紙は来ない』
——————————————————-
この町には何もなかった。
町ですらなく、少しばかりの拓けた土地と、建材に使えそうな木々の生えた林と、以前この土地を打ち捨てた居住者が土中に放置した種芋があるばかりだった。
それでも二人はこの町に居を構えることにした。逃げ出した二人には他に選択の余地がなかったし、二人でいられさえすればどこでもいいと本気で思っていた。
心から、そう思っていた。

その五年後、凶報の使者がこの町にやって来た。
その五十年後、この町には正反対の性格をした二人の兄弟がいた。
その五十年後、この町は新しく興った産業のために沸いていた。
その五十年後、この町を取り囲む周辺地帯で紛争が激化した。
その五十年後、この町にロケットの夏がやってきた。
その五年後、この町の郵便局には一人の飾り字職人がいて、一人の少女がこの町を訪れた。

ある時代のある国に興った一つの町が、始まってからなくなるまでの二百と十年間の物語。


この町に、もうこれ以上、手紙は来ない。
——————————————————-

■脚本・演出  須貝 英 (monophonic orchestra)

■日程  2016年9月2日(金)~7日(水)

■会場
3331Arts Chiyoda B104
〒101-0021 東京都千代田区 外神田6丁目11-14
・東京メトロ銀座線末広町駅4番出口より徒歩3分
・JR秋葉原駅電気街口より徒歩15分
http://www.3331.jp/

■出演
大石 憲 (monophonic orchestra)
森崎健吾 (ぬいぐるみハンター)
野口オリジナル (ポップンマッシュルームチキン野郎/ECHOES)
岩崎緑

浅野千鶴 (味わい堂々)


■タイムテーブル
9月2日(金) 19:00★
9月3日(土) 13:00/18:00
9月4日(日) 13:00/18:00
9月5日(月) 19:00
9月6日(火) 14:00/19:00
9月7日(水) 17:00

※★は初日割引実施ステージです。
※受付開始は開演の45分前、開場は開演の30分前です。
ご入場は先行予約のお客様を優先させていただきます。
・先行予約のお客様→開場と同時にご入場いただけます。
・一般予約のお客様→開場10分後にご入場をご案内いたします。
※開演5分前までにご来場いただけない場合、予めご予約されていても、当日券をお買い上げのお客様のご入場を優先させていただく場合がございます。
※座席数に限りがございます。お早目のご来場をお願いいたします。

■スタッフ
美術協力 原田愛
照明協力 稲田桂
宣伝映像 ponnn
当日制作 佐藤美紘
演出助手 中村葵(コチョウカンケイ)

■チケット(全席自由)
●前売・当日 3,200円
●初日割引  前売・当日 3,000円


■チケット予約フォーム

http://monophonicorchestra.com/konomachi

※予約フォームはご観劇前日の24時まで使用できます。それ以降のご予約はメールにてお願いいたします。

■メールでのご予約
1)お名前 2)ご観劇日時 3)枚数 4)ご連絡先
以上をご明記の上、件名を「予約」として下記のメールアドレスまでご送信ください。


■お問い合わせ
HP http://monophonicorchestra.com/
Mail monophonic.orchestra@gmail.com
Twitter https://twitter.com/monophonic_orc

この町に手紙は来ない はコメントを受け付けていません。